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2011/03/11 東北地方太平洋沖地震

3/11の記録

南斗聖拳


この日、私は仙台市へ電車で行き、大好きなグループのCDを買ったり
売り切れていた化粧品を買ったりと買い物を楽しんでいました。
2時20分頃、仙台駅前ビル内のファーストフード店で昼食をとり
そのままレシートを整理したり、ipodゲームをしたり
のんびりしていました。 
すると突然、店の中でサイレンが鳴り響きました、
一瞬火事かと思いましたが、自動アナウンス?で
「地震です 5、4、3、2・・・」
というカウントダウンより先に、だんだんと店内がゆれ始め
激しい揺れへと変わりました。
店の中には15人ぐらい人がいたと思われますが、
皆さん立っていられない状態で、床に固定されたテーブルにしがみつき
ある人はテーブルの下へもぐりこんでいました、
店内の天井からぶら下がっていた照明が
ぐるんぐるんと大きくゆれ、壁にぶつかり
電球がバリンバリンと割れ始め、それと同じくらいに
店内の照明が落とされました。
私は隣に座っていた人と抱き会い、ゆれが収まるのを待ちました。
非常に長く感じました。
しばらくしてゆれが収まったので店員の人が外に出てくださいと
指示を出したので、まだ飲み物が残っているドリンクを持ち
外に出ました。
仙台駅前のパルコ・アエル前の交差点には大勢の人がいました。
その後もゆれがあり、どこからかキャーという声が何度も聞こえました。
私はこのとき、携帯電話のワンセグをつけ栗原市で震度7という報道を見て
びっくりしました。しかし、ワンセグをつけたとたん
携帯電話のバッテリーが半分以下になってしまい、電源を落としました。
その後、さくら野前や、ロフトの前などを往復していました。
さくら野の前には、ビルの看板と思われるものが落下していました。
また道路の中央にある木のところへ、建物から離れようとしている人が
たくさんいました。
仙台駅前のタクシープールにも、大勢の人がいました。
しばらく、ペデストリアンデッキで様子を伺っていましたが、
仙台駅職員の方々が、「ここは危険なので、下へ降りてください」と
アナウンスしていたので、私もタクシープールへ行きました。
なお宮城交通・仙台市営バスはこのときも動いていました。
しばらくすると、雪が降ってきました。
隣にいた女性の方と少し話していました。名取の方でした。
地べたに座っていると、ロフトかイービーンズの店員の方かは分かりませんが
ダンボールをもらったので、それを尻の下に敷いていました。
雪が激しくなってきたので、仙台駅西口のタクシー乗り場へ行きました。
そこには雪からのがれようとした人が大勢いました。
しかし、大きなゆれがおこると、みんな一斉に
キャーといいながら、タクシープールへ走っていきました。
私も何度もぶつかられました。非常に危険で危ないと思いました。
仙台市交通局か、警察の方が、車からラジオを流していました。
そして、地方局の中継車も仙台駅前に来ました。地震後30分か一時間後だと思います。
一番最初に到着したのが、東北放送、その次にミヤギテレビでした。
東北放送はラジオも行っていたので、中継車が撮影している映像を
ラジオで実況していました。
それからか、何分たったかは分かりませんが、仙台駅員の方が
「避難所へ移動してください」
とアナウンスがありました。
避難所はダイエー仙台店の近くの仙台市立東二番町小学校です。
その周辺は何度も行ったことがあるので、私も向かいました。
途中、地下通路を通らなければいけないのですが、
停電しているので真っ暗で、ipodの光を照らしながら壁に沿って歩きました。
小学校には、大勢の避難してきた人がいました。
小学校の時計は2時46分で止まっていました。
それから、あたりが暗くなるまで、校門付近で車の通りを眺めていました。
すると、学校の校旗を掲げた人を先頭に、大勢が小学校から移動し始めました。
あまり詳しいことは聞けなかったのですが、違う避難所に移動ということで
東二番町小学校から、五橋中学校へ移動しました。
五橋中学校は、すでに避難してきた人で体育館がいっぱいで、
私も一人分のスペースをなんとか確保してもらいました。
卒業式が近いようで、たくさんの椅子が設置され、紅白幕も飾ってありました。
気がついたら20時を過ぎていました。
避難所についたとき、ツイッターにメールでツイートをしました。
この時間も、携帯電話はつながりにくく、遠方の友人や
母親、妹からもメールがきましたが、返信しにくい状態でした。
電話は一向につながりません。
避難所では、個人の方がラジオを流していましたので、それを聴いていました。
22時か23時ごろ、避難所へ河北新報(宮城の地方紙)の号外が配られました。
みんな、携帯電話などのあかりを使い、新聞を読んでいました。
私もみましたが、大きく掲載された写真をみたとたん、
あいた口がふさがりませんでした。
0時を過ぎても、避難所へ非難してくる方はどんどん増えていきました。
体育館や、となりの道場(柔道、剣道場だと思います)では入りきらない
方々は、教室へと誘導されていきました。
しだいに、1階の教室が満員になり、2階、3階、と誘導される場所が
変わっていきました。
そして、この時間、やっと水が配られました。
しかし全員ではなく、小学生未満の子供・幼児と、70歳(75歳かもしれない)以上の高齢者のみ
の配布となりました。
私は、ファーストフード店でオーダーした飲みかけのドリンクを
持ってきてよかったと本当に思いました。
日付が変わると、周りの人がだんだんと横になり寝ようとしている人がいました。
しかし、余震は何度も襲ってきます。体育館内は地震になると
ガタガタガタッ!という不気味な音がなり、その都度ざわつきが起こります。
隣の非難していた親子と思われる方も、横になって休んでいましたが
地震のたびに起き上がって、上のほうを見上げていました。
体育館内には、石油ストーブがありましたが、その近くの人は
暖かいと思いますが、こちらは熱も届かない場所にいるので非常に寒かったです。
ストールを足に巻いたり、手をわきの下へ入れたりしていましたが
どうにもなりませんでした。寝ようとしても地震と寒さで寝れませんでした。
ipodの音楽をきいていたり、電子書籍を読んだりしていましたが
時間の流れは非常に遅く感じました。

避難所で配られた河北新報の号外
20110319105232.jpg 20110319105245.jpg

地震発生後一番最初にとった写真(3/11 14:50)駅前交差点
20110311145036.jpg

壁が落下したさくら野仙台店
20110311150745.jpg 20110311150429.jpg

日付が変わり
5時頃、大きなゆれがありました、ラジオで長野県が震源とあったので
長野の友人に連絡をしました。何もなかったようで安心しました。
この時間はスムーズに連絡できました。
ずっと座りっぱなしで関節が痛くなってきたので、外にでると
河北新報の朝刊が壁にはってありました。
大きな見出しと一緒にあった津波の被害写真が衝撃的でした。
新聞を見ていた方々が、じっと見ていました。
しばらくして電話をしようと思ったので、学校の公衆電話へと向かいましたが
長蛇の列でした。実際に電話ができたのは3時間ぐらいたった後でした。
並んでいる途中、過呼吸で倒れる女性がいました。
また毎日新聞の朝刊も壁に張られていたので、それをみていました。
目を背けたくなる写真ばかりでした。
公衆電話は無料で使えるようになりましたので、
無事つながることだけを祈っていましたが、
家族の携帯電話(ソフトバンク・ドコモ)は通じず、
家の電話も通じませんでした。地域が違う親戚の家へもかけましたが
つながりませんでした。並んだ時間が無駄になった事よりも
電話ができないのがショックでした、
10時ごろ、アルファ米の準備ができたので、配給しますという
アナウンスがありました。
昨日の夜は、偶然バッグにはいっていた飴しか食べていたなかったので
腹が減っていました。
小さなパックにはいっていたアルファ米、わかめごはんは
非常につめたかったです。ですが、とてもおいしく感じました。
この時間になると、体育館内よりも日が差す外のほうが暖かいので
外で足を動かしたりしていました。
携帯電話の電源をいれると、母親から連絡があり、こちらに向かっているという
連絡がありましたので、校門前で待っていました。
1時間半?ぐらいたったあと、父親がこちらに向かってくるのを見つけました。
ここで私はようやく安心することができました。
父親の車はガソリンがなかった為、満タンに近い状態だった祖父の車で来ていました。
ここから地元仙南地方へ帰る途中色々なものを見ました。
全身を毛布でくるまれた男性が担架で運ばれるのを見ました。
父親は、もう亡くなってる人じゃないか、と言っていました。
また、壁がほとんど崩れて中がみえている雀荘や、
ガラスが割れているビルなどもありました。
途中、名取のトップバリューで両親が買い物をしていきました。
列ができており、店の外での販売でした。停電しているので
日が暮れるまでの営業ということでした。私は眠くて車内で待機していましたが
途中大きなゆれがありました。
停電中なので信号もつきません。交差点で軽い追突事故も目撃しました。
名取大橋の水道のパイプが破損し、中の水が噴出しているのも見つけました。

私の地域の電気は、14日17時50分頃に復活しました。
水は地震直後から、半断水状態でチョロチョロという状態だったようですが
17日頃から水の勢いが強くなりはじめ、現在では通常通りに水が通りました。
地元スーパーはまだもう少し食べ物の在庫はあります。

祖母は人工透析を受けていますが、かかりつけ医院で通常通り行えています。
ただし、いつもより早い透析時間(3時間のみ)です。
最近体調を崩しましたが、元気です。

私は一生 3月11日14時46分の地震を忘れません。

ペデストリアンデッキから撮影
20110311150513.jpg

道路中央へ避難する人々
20110311150524.jpg

仙台駅前タクシープールで避難する人々
20110311151049.jpg 20110311151207.jpg

雪が強くなってきた時の写真とTBCの中継車
20110311162659.jpg

地元スーパーの駐車場・スロープ
20110314102608.jpg 20110314102825.jpg

20110318104526.jpg 20110318110307.jpg

被害にあわれ、亡くなった方のご冥福をお祈りします。
そして、現在も続く原子力発電問題が解決するよう
救援物資が、一秒でも早く各避難所へ届くよう祈るばかりです。



非常に長くなってしまいましたが…思いのまま書きました。
最後まで読んでくださりありがとうございました。

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